私の少年時代は、もう日本に食料不足の気配はなかった高度経済成長期。ですが、うちの母親がステーキと言って出してくれた料理は、鶏肉をフライパンで焼いたものでした。当時、牛肉のステーキは「ビフテキ」と呼ばれていて、贅沢で特別なものでした。
「俺もビフテキが食べてみたい」
単純にそういった未知の“食”に関する憧れは人一倍あったと思います。そして外食産業に携わって37年間、社会の食の指向の変遷をいろいろ体験してきましたが、やはり外食の根幹はエンターテインメント。デパートの食堂にごはんを食べに行く時は、家族みんなで一等いい服を着て行った時代がありました。そういったハレの日を演出することが外食の魅力で、私はそれを提供したいと考えるようになりました。
壱番屋の仕事に携わり、岐阜県関市に初めて自分の店をもつことになり ました。私は愛知出身なので岐阜のことはほとんど知らなかった。右も 左もわからないまま、がむしゃらに働いて、やっと関市に店を立ち上げ た時にお客さまに言われた一言が、
「近所にココイチができて、ほんとありがたいな」
この時初めて、私の仕事が“地域”に望まれていたことを知りました。お 客さまに喜ばれるためには、そのお客さまが暮らす土地を知り、そこで 求められるサービスを提供すること。そんな地域に根差したお店作りを していこうと心に決めたのです。 その後、この土地のことを勉強したり地域のイベントに参加したりする ことで、徐々に知り合いが増えていきました。お祭りの時にカレーコン テストやろうって言ったら町長に「いいね!審査員やるよ!」って言わ れたり、県立岐阜商業高校さんの授業を受け持ったりと、少しずつ地域 の方々と活動する機会も増えています。